つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

十二単衣を着た悪魔

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出典:映画「十二単衣を着た悪魔」公式Twitter

 「十二単衣を着た悪魔」観てきました。

公開前から本当に楽しみにしていた映画で、封切日に観に来た映画は初めて。

 

主演伊藤健太郎

心からいい俳優さんだと思います。

大好きです。

今は彼が積み重ねてきた作品を楽しみたいと思います。

公開してくださった配給会社に感謝します。

 

(ネタばれあり)

就職活動59連敗中、彼女にも「雷といても成長できない」の一言で振られる伊藤雷。

並外れた才能を持つ弟と自分を比較しては卑屈になるポンコツくん。

彼女の動画を撮る姿に“ほんまこいつ最低やな”って思える人物。

 

兄弟の出来不出来にかかわらず差別なく接しようとする

母親の気遣いがまた彼を苦しめる。

これはどこの家庭の母親でもそうでしょう。

子どもの個性はさまざまでそれを受け止め認めるのが親の愛だと思うけど、

それが子どもを苦しめることもあるのね。

 

そんな彼が突然源氏物語の世界にタイムトリップし、弘徽殿女御と出会う。

弘徽殿女御は源氏物語の中では自分の夫が愛する桐壷更衣を虐めぬいて、

最後は心労で死に至らしめたといわれる、ザ・悪役。

 

この映画の中でも気の強さは天下一品。

「言いたいことを言って何が悪い。言いたいヤツには言わせておけばよい。」

「かわいい女にはバカでもなれる。怖い女になるには能力がいる。無能なものに牛や馬のように言われてもかまわぬ。」

この歯切れの良さは非常に気持ちがいい。

こうありたいとまで思う。

身近にいたら困るけど。

 

また弘徽殿女御を演じる三吉彩花がまたいい。

目を見張るような美形と目力、言葉のキツさ、

なにより不敵な表情がマッチして弘徽殿女御の魅力が存分に伝わる。

弘徽殿女御が嫌われてしまうと、この映画は成り立たない。

愛されキャラというのは言葉が違うけれど、魅力的な女性であることは間違いない。

 

弘徽殿女御は我が子一宮を天皇とするためには

自分が泥をかぶることなど何とも思わない強い人。

雷が「我が国であれば女性総理第一号になれます」とつぶやいたのも納得。

 

でもこの時代、女性が表舞台に立つことなどあり得るはずもなく。

これほど自分を強く持っている弘徽殿女御自身ですら、それは想像できないこと。

女性の立場の弱さを感じる。

弘徽殿女御ほどに優秀な人物でさえ男性の陰にしか存在できない現実。

それは今の世にも通じるものもあり、女性監督ならではの視点のように思う。

 

雷の奥様、倫子も女性が抱える問題の象徴に思える。

容姿に自信のない倫子。

顔も見たことのない男性に突然

「倫子はあなたの持ち物にございます」

と告げる。

“女性に人権はないのかー!!”

と叫びたいけど、この時代はこれが普通だったんだ。

 

女性はどんなに優秀であっても表舞台には立てず、

容姿に左右され、

人生は男性に従うべきものと、

男性だけでなく女性たち自身もそう信じている時代。

 

でもその環境の中で、女たちは戦う。

我が子を天皇にしようと画策する弘徽殿女御、桐壷更衣、藤壺更衣。

彼女たちは決して不幸ではない。

我が子の幸せを願い、自ら力を手に入れようと生きる女性は強いのだ。

 

雷は現代の薬を使って病を治し、

源氏物語のあらすじを読み未来を知って

陰陽師としての地位を確立する。

源氏物語の世に自分の居場所を得た。

自分の居場所を得ることにより、自信をつけ、成長していく。

人は誰かに認められることにより、自分を好きになって、周りを愛し、

さらに高みに上っていくものなのだと雷を見て思った。

 

自分を認めてくれる誰かはとても大切。

現代でも母親は雷を認めてくれていたが、

それを雷は受け入れられなかった。

源氏の世界では自分自身を認めてくれる

三者の言葉を受け入れられるようになった。

雷の一番の成長はここにあるとみる。

 

しかし彼の居場所は突然失われる。

「倫子を好きでいてくださった分、ご自身を好きになってください」

倫子は雷のすべてを知り、包み込んでくれる存在だった。

雷は自分が不正に自分の居場所を手に入れたがために

罰が当たったのだと自らを責める。

 

そして雷は、また突然に現代へと引き戻される。

26年過ごした源氏物語の世界から引き離された。

そして戻った世界は何も時間が流れていなかった。

 

彼の過ごした26年は失われたのか。

幻ではないと彼はバスルームで慟哭する。

声を殺す。

 

伊藤健太郎の真骨頂を見せつけられた気がした。

泣くシーンは苦手だと常々語る彼。

 

別のシーンではスピッツのチェリーを口ずさむ。

その歌声だけで雷と倫子の幸福感を存分に行き渡らせる。

最高に幸せなシーン。

歌うのは苦手だという彼だったはずなのに。

 

苦手と語っていたものを次々と自分のものにしてしまう

伊藤健太郎の器用さ、勘の良さ、

そしてそれを上回るであろう凄まじい努力を感じることができた。

 

スマホを舐められるアドリブをああ返せる

あの反射神経を持っている演者さんはどれだけいるだろう。

アドリブのキスをあの表情で返した伊藤沙莉も凄いけど。

 

現代に戻った雷は、今までの自分の弱さ、

情けなさ、

自分を大切に思ってくれる人の存在を

客観的に見ることができるようになっていた。

彼の26年は一切失われていなかった。

命短い平安の世を精一杯生き抜いていた人々の姿に力を得た。

 

「みんないろいろなものを抱えているのにちゃんと生きてる」

他人を認めることができるようになった。

 

「男なら己の能力を形にして示せ」

弘徽殿女御の言葉に従うかのように、

雷は生きる糧として弘徽殿女御についての研究を始めていく。

自分を愛し育ててくれた源氏の世界を忘れないため。

 

ラストシーン。

雷が一度は失ってしまったものをまた手に入れる予感を感じる。

希望と再生。

観終わったときに、幸福感と清々しさを感じさせてくれる作品だった。

映画は観終わったときの感覚が一番大切だと私は思う。

満足感に包まれた。

 

この映画は本当に名言だらけ。

文中に書ききれなかったものがたくさん。

細かな言い回しまでは覚えきれずあくまでもニュアンスですが・・・

 

「つまらぬものに負けてはなりませぬぞ。」

「やれることもやれぬこともやって私は生きる。」

「生きているものが勝ちだ。」

「欲しいものは自分から掴みに行く。守りたいものは自分で守る。私の生き方は私が決める。」

「私は自分自身の人生を生きる。」

「倫子は弱くなったんじゃない。幸せになったんだよ。」

「去り行く人の代わりにはなれませぬ。」

「身の丈を超えるものを追い求める者だけが輝きを手に入れることができるのです。」

「悲しみも怒りも寂しさも全部出していいんだよ。」

 

などなど、心に迫る言葉ばかり。

十二単衣を着た悪魔語録”を出してくれたら即購入します。

 

でも最後に雷が自分の弱さを語る言葉がどうしても書けません。

また観に行って確認してこよう。

すごく心に残るのに、文字に起こせないってどういう現象なのだろう。

感情移入して没頭しているうちにシーンが終わっていた。

こんなことは珍しい。

 

 

最後に伊藤健太郎

演者として稀有の才能があると思っています。

ふとした表情や仕草、言い回し、行間の空気感、

どれを取っても大好きだと言える俳優さんです。

 

彼の行動以外に対する心ない誹謗中傷に晒されていますが、

努力なくして今の彼はない。

俳優は人間です。

良いところ、悪いところ、強いところ、弱いところ…いろいろあるでしょう。

歪んだ報道のために、彼が居場所をなくしてしまうことは悔しく思います。

 

ただ原因は彼自身が作ってしまったという現実、怪我をされている方がいること、

処分もまだ決まっていないという状況で未来の話は早いのですが…

過ちをきちんと償い、再生することができると信じています。

雷くんのように。