つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

惡の華~いちばん酷いこと~

伊藤健太郎作品としては避けて通れない

思春期もの『惡の華

コーヒーが冷めないうちに』の

新谷くん堕ちとしては、

なかなか手が出せなかった作品。

でもやっぱり主演だし、

ひとまず観ておこう…

しんどかったら途中でやめよう…

って思ったら・・・どハマリしました。

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出典:映画「惡の華」公式Twitter

 

 *****ネタばれあります*****

名シーンは数えきれないほどあるけれど、

やっぱり一番はここ。

 

「それが一番酷いことだからだよ」

引用:映画「惡の華

 

ごくごく普通の中学生だった春日。

 

頭の中ではいろんなことを考えてたし、

背伸びして難しい本を読んでみたり、

女の子のことで頭がいっぱいにも

なっていたけど、

思春期中学生ならみんな覚えのあるレベル。

 

でもこの言葉を言ったときの

春日はもう違う。

目が子どものものじゃない。

一線を越えてしまった。

 

春日が一線を越えたのは、

教室をグチャグチャにしたときではなく、

このときだと思う。

実際には水泳の授業のときに

一人廊下を歩く姿かな。

 

そしてそんな冷酷な目を

宿したにも関わらず、

仲村の言葉に一喜一憂するかわいらしさ。

ズキュンからの恍惚の表情。

 

こんな凄い表情を次から次へと

繰り出す役者は他にはいない。

 

このときに完全に

役者伊藤健太郎にハマった気がする。

 

この一連の表情を

全国のみなさまに観ていただきたい。

そうしたら役者伊藤健太郎の凄さを

わかってもらえるのに。

監督も撮っていて楽しかっただろうな。

 

でもどうして春日は

佐伯を傷つけたかったのか。

偽善者面が気に入らなかった?

 

少なくとも平凡春日にとっては、

佐伯は憧れ女子だった子。

佐伯も必死で春日を理解しようと

していたはず。

 

たとえそれが自己満足的な偽善であっても、

春日の恨みを買うほどものではなかった。

仲村を泣かせたのは佐伯じゃなくて、

春日本人だと思うし。

 

結局はただ傷つけたかっただけなのかも。

理由なんてない。

綺麗なものを壊したい。

思いっきり残酷な方法で傷つけたい。

 

人間の本質にはそういう一面があることは

否めない。

普通は隠そうとするけれど、

隠すことをやめたのが春日と仲村なのか。

 

いや、

春日は仲村を喜ばせたかっただけかな。

自分のどろどろしたものに蓋をせず、

さらけ出す姿を仲村に見せたかった。

 

その姿を仲村は喜んでくれるから。

春日と仲村は本当に不思議な関係。

 

「仲村さんが笑ってくれるところ

 それが僕の向こう側だ」

引用:映画「惡の華

 

最大級の愛の告白。

仲村は春日のすべて。

春日は仲村の喜ぶことなら何でもする。

ずっと傍にいたい。

けれど恋愛感情とは違う。

 

性的対象になんて決してならないし、

そうみてしまった時点で

この二人の関係は壊れてしまう。

 

でも夏休みの二人は

完全にかわいい中学生カップル。

二人だけで過ごす時間は

本当に幸せだったんだろうな。

 

あと3年…

このまま二人だけの時間を過ごして、

心が思春期を抜け出せば

何か違う未來があったかもしれない。

 

それを壊した佐伯は…

やっぱり悪だわ。

 

といいつつ、実は佐伯も嫌いじゃない。

 

美人で何でもできる優等生。

誰からも愛されるべき存在と

内心自負している。

 

そんな自分を拒絶した春日。

春日の内面もすべて受け入れると

寛大な態度を示したのに。

 

そして仲村はその春日を

理解者として手に入れてしまった。

奪われた。

 

プライドはズタズタ。

嫉妬はメラメラ。

 

佐伯も仲村のせいで、

蓋をしていた自分の内面を

さらけ出さされた。

 

春日も佐伯もある意味被害者よ。

 

仲村と関わりさえしなければ、

何ごともなく普通の中学生でいられたのに。

 

人には目をそらしておいた方が

楽な現実というものがある。

見たくないものは見なくていい。

 

真実の自分から目を背けて、

当たり障りのない平凡な道を行くべきか。

自分の内面と真正面から向き合って、

時には世間に逆らいながらも生きるべきか。

 

どんな生き方を選ぶかは自分次第。