つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

冬薔薇~2薔薇目~

出典:映画「冬薔薇」公式Twitter

 

語り始めたら止まらないのが

映画「冬薔薇」

今日は母を語ってみたい。

 

*****ネタばれあります*****

 

息子淳に愛情を注げない親だと

描かれる母道子。

 

大けがをして手術している

息子のもとにも駆けつけない。

それどころか父親に行かせただけでなく、

目覚めたときに一人の方が良いと

帰ってこさせる。

 

足をケガしているから歩くのも厳しいのに

迎えに行くこともせず

「ごめんねー、バタバタしていたから」

の一言で済ませてしまう。

 

事前に読んだあらすじでも

母親の愛情不足のことは書かれていたが、

ここまで酷いのかと驚いた。

 

でも話が進むにつれて感じたこと。

 

この人、なんかちぐはぐな感じがする。

気味が悪い。

 

狂気と正気のはざまで

どうにかバランスを保って

正気の側に存在しようとしている人。

 

わが子を親の不注意で

死なせてしまった過去。

その時点で

道子の心は死んでしまったのかもしれない。

それでもどうにか踏みとどまっていたのは、

淳がいたからじゃないかと。

 

淳を一人遺していくわけにはいかない。

 

でもその一方で、

怖かったのだとも思う。

もしかして

淳も失うことがあるかもしれないと。

 

そう思ったとき、

人はどういう行動を取るか。

 

失ってしまったときの

ショックをやわらげるためには、

期待しないこと。

 

大切なものだからこそ、

大切にしないこと。

 

だから淳には愛情を示さなかった。

自分の心に防御線を張ったのだと思う。

 

健太郎くんも、

冬薔薇のお話をいただいたときに、

もしかするとなくなるかもしれないから、

そのときにショックを受けないように

過度の期待をしないようにしていたと

語っていたけれど、同じことじゃないかな。

 

淳の立場に立ったら、

やっぱり酷い母親だと思うよ。

淳にとって、兄が突然消えてしまって、

両親は自分を見てくれないのが現実。

 

それで健やかに育てと言われても、

無茶だわ。

幼い心は傷だらけ。

 

それでもやっぱり

道子の気持ちにも同調してしまう。

 

母親だから

子どもに愛情を注ぐのは当たり前。

そう思われるけれど、

母親だって人間ですよ。

 

仕事もうまくいかず、生活も苦しい。

一人残った息子は

問題ばかり起こしてくる。

 

そんな中でいつも太陽のように微笑んで

すべてを受け入れて

愛情を振りまくなんて無理!

 

道子と淳のどちらかが

一方的に悪いわけではなくて、

少しずつの食い違いが

今の二人の関係になっているのだと思う。

 

そして淳のことを

どうしようもないと思っていても、

決して見捨てることはしていない。

 

学費は工面しているし、

淳を訴えると実家にまで来た女性にも

誠心誠意謝ったと思う。

友利くんへの手土産も持たせている。

 

親としての体裁かもしれないけれど、

ちゃんとしていると思うのです。

 

そして食事のシーン。

パスタでしたね。

 

阪本監督も語っていましたが、

子育てをしていた家庭のメニューだと。

 

道子さん、

ちゃんと家族のために

ごはんを作っています。

共働きなのに、

いつも台所に立っているのは道子さん。

 

疲れていても淳のために

ごはんだけは作っていたのだと思うのです。

 

ごはんって愛情の証だと思う。

 

それを当たり前だと思って、

気づくことなく

自分は愛されていないと思ったのは

淳側の問題かな。

 

愛されていないと思うから

構ってほしくて問題を起こす。

問題を起こすたびに

わが子ながら愛想が尽きてくる母。

スーパー悪循環にハマった母子ですね。

 

後半、母子の会話が増える。

父親には反発している淳だけれど、

母親にはきちんと話をしている。

 

母親も父親の態度をいさめているし、

淳をかばうこともある。

 

「淳も貴史くんみたいだったらなぁ」

の父親の言葉への怒り。

 

自分の育て方を責められていると

思ったのかもしれないけれど、

やっぱり淳を愛してなかったら怒らない。

一緒になって愚痴っていたわ。

 

20代半ば。

もう親を一人の人間として

冷静に見ることができる。

兄のことも口にすることができた。

 

考えることをやめてしまっていた

淳だけれど、

貴史の事件があり、

貴史の父親の姿を見て、

自分の親のことも理解してみようと

思い始めたやっと入口。

 

そろそろスーパー悪循環からは

抜け出せるのではないかと。

 

最後に振り返ったシーン。

母親に呼ばれて

振り返ったイメージだと語った。

 

意思のある強い目だったと思う。

 

でも、母親に対するまなざし

といった目線でみると、

”ごめん”

と言っているような気がした。

 

がんばって生きてはいるけれど、

親の望む姿じゃなくて、

ごめんって。

 

でもいいんだよ。

 

親は子どもが元気で

生きてさえいてくれればいいんだから。