つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

冬薔薇~4薔薇目~

出典:映画「冬薔薇」公式Twitter

 

映画「冬薔薇」

母親について語ってみたから、

お次は父親。

 

*****ネタばれあります*****

 

子どもに無関心な父親義一。

正面から向き合うことを避けて、

子育ては妻に任せっぱなし。

 

んー、昭和の父親って

こんなものじゃなかったですか?

 

今でこそ育メンとか

父親の育児休業とかが

もてはやされるけれど、

義一さんの世代はまだまだ昭和世代。

 

男は外で稼いできてこその存在だし、

家の中のことは口を出さないのが

当たり前。

 

そして温和な雰囲気で、

たぶん淳が悪さをしたときも

手をあげたりはしなかっただろう人。

 

それがダメだったのかな?

 

いやいや、何も言ってくれなかったと

淳は言ったけれど、

じゃあ、怒鳴りつけられたり、

殴られたりしていたら、

あなたは変わった?

 

さらに反発していた気がするな。

親のせいにばかりしていてはなりませぬ。

 

でもこの言葉

 

「子どもに嫌われるのが

    怖いんですよ…親って」

 

友利くんからぶつけられた言葉。

この言葉にははっとさせられた。

 

確かにね。

嫌われたくはないわ。

 

「自分で気づくの

 待ってるんだけどな」

 

それも間違ってないと思う。

人生は結局は自分一人のもの。

親がどうこう言ったところで、

本人が道を開こうというしない限り

何も変わらない。

 

それでもね…

未熟なものが

間違ったことをしたとき

道を正すのはやっぱり親の責任。

 

昭和の父親が

子育てを妻に任せっぱなしなのは

普通だと言ったけれど、

ここぞというときは父親だったな。

 

やっぱり義一さん、ダメだったわ。

ちょっと間違っていた。

 

「のはずー」

を連発して、淳のことを

自らの目では見ようとしない。

考えようとはしない人。

 

自分が期待するような息子に

育たなかったのは、

母親の教育のせいだと責任転嫁する。

 

きっと心の内では

自らの責任を感じていても

見て見ぬふりをしてしまう。

 

実は、淳ってお父さん似?

そっくりやん。

 

でも義一さんは、

ちゃんと仕事もして家庭もある。

一般的な社会適合者として生きている。

 

淳と何が違うのか。

 

ガット船。

 

義一さんには居場所があった。

家業を継ぐという

一本通った筋道を持っていた。

 

淳と父親は電話によって、

通じ合ったはずと

以前に語ったけれど、

最後まですれ違ったことがある。

 

家業を継がないかと

言ってほしかった淳と

言わなかった父親。

 

父親には

父親なりの考えもあったと思う。

先行き不透明どころか、

衰退する一方のガット船。

 

精神的なものもあるだろう

すぐに船酔いしてしまう息子。

しかもそこで長男を亡くしている。

 

家業を継げと言わなかったのは

親が子を想う気持ちゆえに。

 

でもそれは

淳には一切伝わっていない。

 

言葉にしないと伝わらないことって

たくさんあるんだよ。

 

継ぐ継がないは別として、

淳に継いでみるかと言っていたら。

実際に船に乗ってみた結果、

淳自身が

どの道を進むかを決めていたら。

 

たらればばかりになるけれど、

きっと違う道が開けていたと思う。

 

ガット船は大きくて、

家族を失った達ちゃんの居場所でもあり、

義一さんの居場所でもある。

 

淳の居場所にもなったんじゃないかな。

 

でもそれは言っても仕方のないこと。

 

”心配はいらない。

  こちらからは連絡もしない”

 

と一見突き放したような言葉を

淳に投げかけたけれど、

それは淳を一人前の大人として

扱うと決めた証。

 

それが伝わったことは

電話を切ったときの

淳の表情でわかる。

 

淳が倉敷でがんばっていると語った

「のはずー」

の声音は冒頭のものとは違っていた。

 

次に帰ってきたときは、

淳と日本酒を傾けてほしい。

もし2人きりが気まずいなら

達ちゃんと3人でもいいな。

 

きっと今まで見えなかった

お互いの姿が

見えてくると思う。