つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

舞台「背信者」~劇場視点 第2号~

下北沢本多劇場から帰ってきて、

興奮冷めやらぬうちに

感想を書き綴った舞台「背信者」

 

配信を早く観たいけれど、

劇場で観ただけの感想も書いてみたくて

そのためには一刻も早く劇場視点だけの

感想を残さなくてはいけない。

 

そう思って、

睡眠不足の脳みそで書いてみたら、

後から読み返すと、書きたいことが

あんまり書けていなかったという。。

 

なので第2号を。

 

初回観劇は3/4(土)昼公演。

座席は前方で少し舞台を見上げる感じ。

席に座り、ステージを見ても、

特に何もない感じ。

ただ上の方に窓のような四角の照明が

一列に並んでいた。

 

下から見上げていると、

なんだか独房みたいだなと。

それか、古い工場にいる感じ。

 

未曽有の電子災害

”ビッグクラック”によって、

人類が積み上げてきた記録が

すべて失われた世界。

 

あらすじを読んだ時からここに違和感。

 

電子データが失われただけで、

人は積み上げてきた歴史のすべてを

失ってしまうんだろうか。

 

電子災害によって

すべての記録が失われたということは

すでに紙媒体は”ビッグクラック”以前に

失われていたということ。

 

そして”ビッグクラック”以前の

人々の記憶は

どこにいってしまったんだろう。

 

すべての人間の記憶を集めれば、

すぐ再現できそうな気がするのだけれど。

 

現代でも暗記よりも

情報を利用するリテラシー技術に

重きを置く教育がされている。

 

その教育が300年間も続くと、

人は自らの脳に

知識の蓄積をすることなく、

すべてをデータに頼る存在に

なったということだろうか。

 

技術は発達しても、

人間本来の能力は退化しているな。

 

そして退化したその世界で

真実を追い求めるのが

主人公クスノキ

 

「僕は真実を知りたいんだ!」

と彼は叫ぶ。

 

彼にとっての真実って何なんだろう。

 

彼が取材の中で辿っているのは

ただの過去の事実であって、

真実とは少しずれているように思う。

 

事実とは

「実際におこったできごと」であり

真実とは

「嘘や偽りのないまこと」

 

”事実”は現象であり一意であり得るけれど、

”真実”は現象を見る角度により変わり得る。

 

そして人は概して、

自分にとって都合の良いものを

”真実”と呼ぶ。

 

操作可能。

 

クスノキは自らのルーツを知ることを

一番信じていた人たちに拒まれた。

 

”ビッグクラック”によって

失われた”事実”を

取り戻すことができれば、

自らが失った”真実”を

取り戻すことができるかもしれないと

そう考えたのか。

 

自分は真の存在なんだと証明するために。

 

ただ彼には表面的な甘さを感じる。

きっと彼は両親に愛されて

大切に育てられたのだろうと。

 

疑うことなく、

目先の事実に飛びついて満足してしまう。

そこがキリエとの違い。

 

きっと彼は何も失っていない。

 

自らの過去に酔っているという言葉に

めちゃくちゃ共感する。

 

この舞台の中の言葉に

もう一つすごく共感するものがあって、

「神様も懐狭いなと思うんですけどー」

(器が小さいでした?)

 

あのお話を読むたびに、

思っていたことなので、

同じように感じていた人がいたことが

なんだか嬉しき。

 

話逸れました。。

 

そして真実をジャッジするのが真理省。

真実省でも、事実省でもなく真理省。

 

真理には確実な根拠があるはず。

それに基づいた絶対的存在ということ。

 

キリエはその絶対的存在に食らいついた。

クスノキは違った。

 

物語が進むにつれ、

能天気だったクスノキの顔は

険しくなっていく。

 

誰も自分を信じてくれない、

自分も何も信じることができない。

絶望。

 

そしてたどり着いた”真実”。

きっと彼が欲しかったものとは

違っただろう。

 

自分にとって都合のよい”真実”に

書き換えられないくらい

”事実”に裏付けされてしまった。

 

”言葉”は変わっていくけれど、

”写真”は嘘をつかない。

 

”ペン”のクスノキ、編集者たちと

”カメラ”のキリエとスナカメ

 

ん?

でも嘘をついていた写真もあったか。。

あれも伏線なのか。。

 

って書いているうちに

支離滅裂になってくるわ、

ネタバレになりそうやわ、

文字数はどんどん多くなってくるわ。。。

いつまでたっても劇場視点を語りきれず、

配信にたどり着けない気がしてきた。

 

劇中、失われた人類の記録が

実際に現実世界の自分たちが

積み上げてきた記録を

模していることに

リアリティを感じる。

懐かしかった。

 

そして劇中劇も多く、

多くの登場人物が現れるけれど、

演じるのはオリジナルの10人のみ。

舞台転換もその10人でやり遂げ、

黒子ですらその世界には現れない。

 

でもその役になりきるというのでもなく、

オリジナルは

眼鏡、バンダナ、金髪、髭、髪型と

一目でわかるビジュアルで、

この人がこの役を演じているんだなと

わかるようになっている。

 

あらゆるものは

視点を変えることで変化する。

と感じたのは考えすぎでしょうか。

 

そして劇中劇で

何役も演じるオリジナルと

全然出てこないオリジナルがいることに

なにか意味はあるのでしょうか。

 

ここは配信で答えがあるのかな。

 

やっぱりキリがないので、

ひとまず終わります。

配信観よう。。。

小御門先生のラジオ聴こう。。。

絶対捉え方が変わるんだろうな。