つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

罪の声

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出典:映画「罪の声」公式Twitter

本日ファーストデイ。映画は1200円なり。なので2本目。

 

ここ最近映画館に足を運ぶことが多く、予告の中で一番気になっていた映画。

私が映画を観たいと思う基準は気になる演者さんが出ているかどうか。

 

でもこの「罪の声」は演者さん云々より物語に呑み込まれた。

142分もあったはずなのにあっという間に終わった。

 

実際にあったグリコ森永事件をモチーフとした原作の映画化。

グリコ森永事件は自分の記憶の中にもあり、

実際の事件と同じエピソードも散りばめられていたので、

どこまでが現実でどこからが物語なのかがわからなくなった。

 

自分の知らないうちに犯罪に巻き込まれていたという事実。

見て見ぬふりもできたけど、やはり知りたいのは真実。

そして物語は進んでいく。

結局、犯罪に関わった人たち、巻き込まれた人たちには幸せは訪れていない。

まだ6歳だった曽根俊也だけでも穏やかな日常を送れていることは救い。

 

中新聞記者阿久津がなぜ社会部から文化部に異動したのかを語る。

「事件をエンタメとして扱う」ことへの疑問や苦悩を口にする。

 

ここ連日の伊藤健太郎報道に嫌気がさしていただけに、

彼の言葉は突き刺さる。

事実を伝えることは大切な報道活動だけど、

人の人生を一種の娯楽として消費するのは報道ではない。

 

大きな未解決事件の裏にあった人間模様をつづる。

事件推理ものかと思ったけど、語るものは報道の在り方、

社会に対する人の怒り、理不尽に人生を巻き込まれた人の哀しみと

いろいろなものを伝えようとしている。

そしてそれがバラバラに散逸することもなく、一本の道の中にある。

すばらしい映画だと思う。

 

ちょっとした役で出てくる方々も、人生経験を積んだ味のある俳優さんばかり。

小栗旬さん、星野源さんも十分中堅俳優なのに、まだ若手に見えてしまうレベル。

これが大作というものなんだろうな。

何十年後かに、伊藤健太郎にもこういう深みのある俳優さんになってほしい。

 

話は逸れるけど、

小栗旬さんの顔を見ていたら、

彼はプロ意識が高そうだからCM契約中に車に乗ったりしないのかなとか、考えた。

いや、23歳の頃だったらまだ考えは甘かったかな。

 

運転好きの若者にとっては自由を奪われているように感じたかもしれないけど、

CMの契約がある、自分を中心に動いている仕事がある、

自分に何かあればどれだけの影響があるのかという自覚があれば、

リスクは少しでも減らしておかなくてはならないと考えられたと思う。

 

このブレイクが一生続くわけでもなし、今の時期は我慢するべきだった。

この数年の環境の変化に、仕事への意識は高まってはいたと思うけど、

一人の人間としての伊藤健太郎の部分がまだまだ強くて、

彼自身の意識の成長がついていけていなかったように感じる。

この人間くささが彼の魅力的な部分でもあるんだけど、

こういう仕事をしている以上縛られるものはある。

そして未熟であることがわかっていながらきちんと導けなかった大人にも責任がある。

23歳は子どもじゃないけど、社会人としてはまだ入り口に立っただけの世代ですもの。

 

伊藤健太郎くんのやってしまったことは過ち。

 

でももし自分が同じ立場だったら、絶対に止まったと言い切れるだろうか。

衝撃があったとはいえ、自分の車は普通に動くレベル。

動転して今自分が事故を起こしたときの周囲への影響の方が

先に頭をよぎったのではないかと。

そこまで大きな事故じゃないと本能的に感じてしまったのじゃないか。

 

一瞬の判断の誤りが彼の俳優人生に大きな影響を与えてしまったことが本当に悔しい。

 

ただ彼のラジオを聴いたり、メイキングを見たりしてきた身としては

今報道されている彼の人格までを否定する報道は過剰すぎると思う。

1ヶ月以上前に出た出どころもハッキリしない中傷記事を焼き直して、

人格否定を執拗に繰り返している。

裏付けのない話をどうしてそこまで自信満々に繰り返すことができるのか。

 

実際に、彼と接したことのある人たちが

彼の人柄は報道されているものとは違うと話始めている。

みんな聖人ではないでしょう。

間違うこともあるよ。

事実を伝えることは大切だけど、言葉は人を傷つける武器にもなるということを

もう一度考え直してみたい。

 

彼を非難できるのは、

彼が怪我をさせてしまった人、

仕事で迷惑や損害を与えられた人、

家族、友人、彼を信じて応援してきた人ぐらいじゃないかな。

 

そしてこうやって報道が過熱することによって、

怪我をされた方は今本当に怖いのではないかと。

事故のショックや怪我の痛みに加えて、連日の報道合戦、

これからの示談の行方も注目される。

一般の人がこんなことに突然巻き込まれたら正気でいるのも大変だと思う。

結局は加害者として伊藤健太郎を非難しているようで被害者も追い詰めている。

 

誰もが自分の発する声に責任を持てる社会でありますように。