つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

新聞記者

f:id:konohaz:20210831125842j:plain

監督藤井道人

映画「宇宙でいちばんあかるい屋根」を観て、

気になった監督さん。

2019年の日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作

「新聞記者」が

Amazon Primeで配信されていたので、観てみた。

 

おもしろかった。

そしてこわかった。

 

*****ネタばれあります*****

暗い大きな部屋の中に大量のパソコンと人。

無言でひたすらキーボードを叩いている。

 

内閣府の人間が、

現政権にとって都合のいい情報だけを

ネット空間に叩き込み世論を操作する姿。

 

ものごとというのは、捉える人の角度によって、

異なるものとなるのが常。

 

でも最近の社会では違ってきているように感じる。

 

事実や現象そのものを伝えている記事よりも、

その記事に対するコメント欄を読む。

そして多数が書いている傾向に沿って、

それが自分の意見だと思い込む。

自分の中から出てきた考えのようにみえて、

実は他人と同じ考えであれば安心という

潜在意識に飲み込まれる。

 

自分の頭で考え、感じるということを

忘れはじめている人がいる。

 

また記事そのものすら、操作されているとも。

真実を伝えるのが

新聞をはじめとするマスコミではあるが、

そのマスコミも権力と戦えるものではなくなった。

 

ネットとマスコミを押さえれば人を操作できる社会。

それを政府が利用していると。

 

松坂桃李演じる杉原は

内閣府の人間ではあるが、

そんな自らの役割に漠然とした疑問符を持つ人物。

いや、漠然ではなく、

葛藤を抱えながら、仕事をしている。

 

現政権を守るという大義名分のもとであれば、

何をやっても許されるのか。

 

そんな迷いの中、最も信頼していた人間が、

生物兵器を開発できる大学組織設立に巻き込まれ、

耐え切れず命を絶つ道を選んだ。

 

杉原はそのことをきっかけに内閣府に反旗を翻す。

今まで内閣府が利用してきた

マスコミという手段を使って。

 

この映画の怖いところは、

敵と戦うための手段が

“物理的な暴力”ではないということ。

直接命を奪うような銃も刃物も出てはこない。

 

武器は“言葉”のみ。

 

真実を正しく世の中に知らしめることができるか。

世論を味方につけることができるか。

その勝負。

 

“言葉”は誰しもが持っているもの。

全員が武器を持っていることと同じ。

 

世論を味方につけられなかったとき、

対象となった人間は、

無関係な多くの人間から集中攻撃される。

攻撃している側は、

自らは安全な場所から攻め、

人を傷つけている自覚すらない。

 

怖すぎる。

 

杉原の逆襲が成功したのかどうかはわからない。

 

愛する家族を巻き込むリスクを冒してまで、

やるべきことなのか。

 

彼は迷い続ける。

 

多くの人がスマートフォンを手に入れ、

様々な情報があふれる時代。

SNSという手段で個人が

自分の意見を発信しやすい社会にもなった。

 

多くの情報を取捨選択し、発信もできる。

 

こう書くと個が成立した

自由な世界のように錯覚する。

でも、たぶん違う。

 

情報を取捨選択しているのは、

読み手ではない。

取捨選択され、印象操作された情報が

世の中に出回っているだけ。

それで世論が形成されている。

 

新聞とは、裏付けされた取材に基づき、

記者が自らのプライドと責任を持って

発信する媒体。

さまざまな媒体がある中での

最期の真実の砦のようにも感じる。

 

その新聞すらコントロールされている

のかもしれないと

警鐘を鳴らしているのがこの作品なのかと。

 

物ごとは一面だけでなく多角的に見る。

人の意見は参考にはするけど、

鵜呑みにはしない。

自分の感覚を大切にする。

 

忘れないようにしよう。