つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

十二人の死にたい子どもたち

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出典:映画「十二人の死にたい子どもたち」公式Twitter

 十二人の死にたい子どもたち

映画って死に関わるものが多いですね。

 

注目の若手俳優さんたちが揃って出演しているから、

前から気にはなっていたけど、

ちょっと観始めてなんかしんどくなりそうになってはやめていたパタン。

 

でもこのあいだ観た「サヨナラまでの30分」で

やっぱり新田真剣佑はいいなと再度チャレンジ。

 

舞台は廃病院のみで淡々と物語は進んでいく。

同じ場所に同世代の12人もの登場人物が集まって話し始めたら、

誰が誰だかわからなくなるのではないかと思ったけれど、

ちゃんと一人一人の個性が際立っていて、その点は問題なし。

全員が名前の売れている俳優さんというところも大きいかも。

顔を知っているから混乱しないという点もあり。

 

自死願望のある子どもたちがネットでつながり、全員で一緒に死のうとする物語。

なぜ一人で死のうとしないのか?

本当に死にたいのであれば、衝動的にであれ一人で死んでいくだろうに。

死への恐怖なのか、社会へのメッセージなのか。

死にたい理由が自分自身の中ではなく、

家族や学校といった外的要因にあるところも大きいのだろう。

思春期の子どもたちが無意識のうちに救いを求めて集まったのかもしれない。

 

物語は進み、12人以外の人物が存在する。

自死の実行は全員の意見が一致した場合のみ行われるため、

なぜその人物がいるのかの謎解きが終わるまで実行されない。

結果的にはその謎解きの間に子どもたちの心はほぐれ、元の場所へと帰っていく。

 

謎解きの経緯はさほど矛盾もなくおもしろかったけど、

そんな簡単に死ぬ気って失せるの?

本気でなかったわけではないけど、

実はそこまで追い詰められていたわけではなかったのね。

余命がどれほどかもわからない子や殺人を告白しようとしている子は

なかなか切実だけれど・・・。

 

この集まりは3回目でもまだ実行に至ったことはないという。

主催者はまた集めようとしているし、

彼も死んでも死ななくても別に構わないとフラットな感覚。

結局彼は何がしたいのだろう。

 

簡単に笑顔で廃病院を出ていく子どもたちにも違和感が残ったし、

残っていた二人にも違和感が残ったし、

結局これは何だったんだろうという映画だった。

 

でも演者さんたちの個性はそれぞれに生きてて

いろいろな俳優さんを一度に見ることができたので、

時間の無駄とは思わなかった。