つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

冬薔薇~5薔薇目~

出典:映画「冬薔薇」公式Twitter

 

映画「冬薔薇」

久しぶりに語ります。

 

今日は澤地さん。

淳に惚れ込んでいた人。

キーパーソンだと思っています。

 

*****ネタばれあります*****

 

玄からも親からも突き放され

ひとりぼっちになった淳。

 

でもプライドは高いから

専門学生という身分は

キープしたいし、

そのためには稼がないといけない。

 

そこで思いついたのは

女に貢がせること。

 

指輪に目を付けて

お金を持っていると判断するのは

なかなかの才能です。

 

深い関係になっても

「澤地さん」

って呼び続けるところは

年下男子のあざとさか。

 

でも淳って

まったくあざとさを感じない。

良くも悪くも素直で単純。

 

”澤地さん”呼びは

澤地さんとは人としての

距離は縮めたくはないという

無意識の現れかな。

太ももに手を置かれただけでも

ビビってるし。

 

寄ってこられることに

慣れていないから

どうしていいかわからない。

 

お金をもらった途端に

連絡を絶った淳。

 

最初観たときは、

”もっとお金を引き出せる

 相手なのに、

 やっぱり目先のことしか

 考えてないなー。”

と思ったけれど、今は少し違う。

 

親の愛を求めて甘えたかったのに、

すがっても追い払われた

幼き日のトラウマ。

 

愛された経験がない。

淳の核はすべてここだと思う。

 

「かわいそうな男。みじめな男。」

 

恋は盲目というけれど、

澤地さんはきちんと

淳のことをわかっていたと思う。

 

勝組的人生を歩んできただろうし、

自分なら淳のことを

変えられると思ったかな?

 

澤地さんの生きざまは

描かれていないけれど、

澤地さんも

愛を感じたことがない人だった

のかもしれない。

 

そして淳も見て見ぬふりをしていた

自らの姿を見透かされ

言葉にしてぶつけられたことで

何かが変わった。

 

澤地さんに”みじめな男”

と言われたときの淳の表情が

とても好きです。

 

いつも何かに怯えているような

取り繕った顔が多いのに、

そのときの顔は

淳そのものの感情が出たなと。

 

淳は澤地さんの言葉で

自分自身と向き合い始めたと思う。

 

同じ日に

「謝らないんじゃない、

 謝れないんだ」

と言われたことも

刺さったんだろうな。

 

淳があの夜

今まで近づこうともしなかった

ガット船の前に佇んでいる後ろ姿に

何とも言えない切なさを感じます。

 

乗りたいのに乗れない。

逃げてきたものに

まだ向き合えない自分。

 

澤地さんとは一緒になるという話まで

しているんだから、

きっと甘い時間もあったわけだし、

そのまま彼女に甘え続けてもよかった。

 

きっとヒモ状態の

ダメ人間のままだろうけど、

少なくとも愛情は与えてくれるし、

お金もくれる。

 

そのうちに

何かが見つかるかもしれない。

 

でも淳の中にはその選択肢は

思いつくことすらなかったんだろう。

 

自分に自信がないから、

人と真正面から

向き合うことが怖い。

 

欠落。

 

愛された経験がないって本当に残酷。

 

両親も淳を

愛していなかったわけじゃないけれど、

伝わらなかったら、無いものと同じ。

 

”澤地さん”

 

淳に利用されただけの女性に

見えたけれど、

淳の人生とっては大切人だったと思う。