つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

冬薔薇~6薔薇目~

出典:映画「冬薔薇」公式Twitter

 

映画「冬薔薇」

既に公開から半年以上経ち、

年も変わってしまいましたが、

ずっと語りたかった人。

 

貴史。

 

彼を語らないと

私の「冬薔薇」語りは

終わらないなと。

 

*****ネタばれあります*****

 

淳は親からの愛情を

感じることができず

歪みを抱えたまま

大きくなってしまった

子どもだけれど

貴史もまた同じだと思う。

 

淳の母親は育児放棄

貴史の母親は過干渉。

 

真反対な二人の母だけれど、

どちらも毒親に変わりはない。

 

子どものことは母親の役目だからと

見て見ぬふりをしていた

父親も同罪。

 

祐治さんも

昔はきっとそうだったはず。

こんなことになったから

今までの償いをしようとしているだけ。

 

貴史は小さいときから優等生で

なんでもできる自慢の息子。

母親の期待に応えようと

一生懸命に頑張ってきたのだろう。

 

でも人には多かれ少なかれ

自分の中に闇がある。

どこかで折り合いをつけながら

大人になっていく。

 

貴史の闇は少し大きかったのかな。

 

そして母親に褒めてもらえる

自分でいたいと願っているうちに

外の顔と内の顔が

どんどん乖離していった。

 

何かほんの些細なきっかけが

内側の闇を爆発させ

彼の理性を飲み込んでしまった。

その結果が

生徒との事件だったのだろう。

 

貴史のターゲットが

いつも女性だったのは

母親への複雑な感情を

ぶつけたかったからなのか。

 

そして母親は彼を捨てた。

 

彼の闇に気づいていて

気づかない振りをしていたのか。

 

全く気付かず大切に育てた息子に

突然裏切られたと感じたのか。

 

それはわからない。

 

いずれにしても

「私はすべてを犠牲にして

 懸命に育てたのにどうして!」

と被害者面をしている顔が

目に浮かぶ。

 

母親にいくら腕を伸ばしても

一度も振り向いてもらえなかった淳と

母親のために頑張り続けたのに

期待通りじゃなかったと

一瞬にして捨てられた貴史。

 

どちらが残酷だろうか。

 

淳は愛情がもらえず空っぽで、

貴史はどす黒いものに

満たされている感じ。

 

どちらも哀しいね。

 

淳と貴史は対比関係。

 

淳が夜中に一人で外から

じっと眺めるだけだった

ガット船の中で、

貴史はみんなに囲まれて

笑いながらご飯を食べる。

 

淳は生き、

貴史は死んだ。

 

きっと二人とも

愛情がほしくて

ずっともがき続けてきた。

 

淳にはきっとまだ貴史が

"何を考えてどう生きたのか"

はわからないと思う。

 

一生理解できないかもしれない。

 

でも貴史の死で

淳が一歩踏み出したことは

真実。

 

淳はずっと貴史を抱えて

生き続けていく気がする。

 

*******

話は変わりますが、

貴史くんがいい子に育っていると

淳の両親が話すシーン。

母親の育て方の違いだと

言っているけど、

いい母親が事件を起こした息子を

置いて出ていかないって。

 

それに気づかないこの夫婦の

一定の角度からし

物事を見ない感がすさまじい。

 

みんなどこかが欠落している。

 

それを補いあうストーリーは

美談になるけれど、

冬薔薇はそうじゃない。

 

欠落していることに

気づきもしないでただ生きる。

 

それが人生のリアルなんだろうな。