つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

半世界

伊藤健太郎復帰作「冬薔薇」公開前に監督である

阪本順治監督作品を観てみようと

Amazon Primeで探してみたところ、「半世界」を発見。

主演稲垣吾郎。タイトル写真では気づかなかった。

役者さんとしても好きな方なので、まずこの作品から観てみようと、

どんな話かも調べずまっさらなまま状態からの鑑賞。

 

*****ネタばれあります*****

 

とにかく映像が綺麗。

 

山村に住む炭焼きを生業とする家族の物語。

監督が「炭焼きの風景を撮りたかった」

とインタビューでも語っているが、炭焼きの炎が妙に心にしみる。

炭焼きになじみがあるわけでもないのに、

原風景をくすぐられる感覚。

 

特に大きな事件があるわけでもなく、

淡々と日常が描かれる。

 

子どものいじめや進路、仕事、収入・・・しんどいことが多いけれど、それが人の暮らしだと日々を生きる人たちの姿。

 

そんな中、部下を死なせてしまった友人瑛介が帰ってくる。

自衛官を辞し、家族と離れ、人と関わることを避けて、

ただ時間が過ぎることを待つ瑛介。

自分の苦しみは誰にもわからないと心を閉ざす。

 

そんな瑛介に大変なのは自分だけじゃないと諭すのが

稲垣吾郎演じる絋。

確かに人の命が絡むと、重い。

心に負った傷はそう簡単に癒えることはない。

でもだからといって、自分だけがつらい思いをしていると思うのは一種の甘えにも感じる。

どうにか寄り添おうと気遣いを重ねつつも、

少しいらついてしまう絋の気持ちがなんだかわかる。

 

もし絋がなんの悩みもない生活を送っていれば、

瑛介の今の姿を受け入れることもできたかもしれない。

でも絋にもそんな余裕はなかった。

 

突き放したわけではなく、瑛介の苦しみもわかっているけれど、

それでも瑛介には強くいてほしいという想い。

そして自分だけが悲劇の主人公のようにはなってほしくない。

他の人も大変な思いをしながらも生きているんだと気づいてほしい。

 

絋の中にはさまざまな思いが渦巻いていたのだと思う。

 

こんな人間関係は巷でもしょっちゅう見かける。

 

人はひとり。

自分がいちばん。

それぞれの人生を生きている。

どれだけ寄り添おうとしても、

他人のすべてを理解することなんてできない。

 

それでもお互いを想いあって、触れ合って、

少しでも理解して歩み寄ろうとする。

わからないながらも、共に生きていくことができるのが人。

 

”40歳目前。諦めるには早すぎて、焦るには遅すぎる。”

わかるな。

自分の人生がどんなものかがおおよそ見えてくる年齢。

でもまだ人生の折り返し地点。

この人生がずっと続くのかと思うと、少しぞっとする。

それでいてもう冒険もできない。

 

不惑と言われる年齢だけれど、

なかなかそんな境地に至れる人がどれだけいるのかと。

 

こうやって悩みながらも人生は続いていくものだと思っていた。

 

でも人の人生なんてわからない。

 

葬式。

天気雨のなか黒雨傘が開く風景。

綺麗。目を奪われた。

 

ただただ涙が止まらなかった。

人が亡くなる話なんてよくあるし、

それほど泣くことはないのに、涙が止まらない。

 

頭ではなんでこんなに泣けるのかわからないのに、

心が動くってこのことだなと。

 

みんなの心の中では生きているというけれど、

絋の人生はこれでおしまい。

新しい思い出が増えることはない。

 

儚いけれど、これが現実。

突然時間が断ち切られる可能性は誰にでもある。

 

でも悲しいという感情だけではなく、不思議な安堵感を感じた。

”おつかれさま”という感情かな。

大往生のおじいちゃんでもなく、30代の若さなのに。

 

死によって悩みから解放されたと感じたのか。

山に帰ったように思えたのか。

 

人生って長さだけじゃないのかもしれない。

 

少し話は外れてしまうけれど、黒雨傘の次に印象に残ったシーン。

絋のおくさんが棺桶に入ると泣き叫んでいたこと。

息子の前なのに、そこまで感情をさらけ出せるってすごいな。

こんなに愛されていたって絋は知っていたのかな。

 

作品の内容もおもしろかったけれど、

とにかく映像の綺麗さに引き込まれました。

「冬薔薇」の舞台は横須賀の海。

山とはまた違った趣の映像が見られるのではないかと楽しみです。