つれづれなるままに~じゃないけどかたりたい

映画やドラマについての思いを語ります。伊藤健太郎くん多めです。

護られなかった者たちへ

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人を待つ時間に何か映画でもと思い、

上映時間がちょうどよかったから観てみようと思った映画。

阿部寛佐藤健、清原果耶となるとはずさないだろうと。

ただ、題材が震災絡みだったので、気にはなるけど、

わざわざ観に行こうとまでは思ってなかった。

 

そして大当たり。

最後まで面白かった。

 

*****ネタばれあります*****

確かに震災が物語の発端にはなっているけれど、

それはあくまでもただの引き金であって、

この映画が語るものは、生きることの苦しさかと。

 

作品では生活保護について多くが語られている。

 

生活保護とは最低限の文化的な生活を送るための制度。

必要な状況となれば、遠慮なく使えばいいと思う。

その一方でその制度を悪用する人もいる。

 

行政側の人間は本当に必要としている人の

選別をしなくてはならない。

 

人それぞれ生活保護が必要になる理由は異なり、

抱えている問題も違う。

 

現実として一人一人の環境に応じて

対応することとはできず、

一定の判断基準に沿ってふるいにかけるだけ。

 

そしてそれが命の選別に繋がることもある。

ふるいにかける側の心も蝕まれ、

蝕まれた心がまた人を傷つける。

 

そして悲劇は起こる。

誰か一人が悪かったわけじゃない。

 

この作品ではさまざまな“死”が描かれる。

そして”生きる”ことの大変さを訴えかける。

 

自らの命よりも娘の暮らしを護ることを選んだ

老女の判断は正しかったのか。

 

生活保護の規範に反するとわかっていながらも

娘をいじめから護るために病を押して働く母は

悪者なのか。

娘を道連れに命を絶とうとする前に

手を差し伸べることはできなかったのか。

 

震災で倒れた墓石を一人で立て直していた男を、

命を落とすことを予測しながらも笑顔で

保護申請の取り消しを勧める男へと

変えたものは何なのか。

 

その他の登場人物も皆さまざまな想いを抱えて

必死に生きている。

 

人を思いやるためには自らの心に余裕が必要だと思う。

震災という稀有の災害の前に人は余裕を失った。

自分を護ることに必死になった。

 

もちろんそこにも周りを気遣うという気持ちは

残っていただろう。

それでも幸せな日常とは比べものにならない

厳しさがあった。

 

自分の弱さを思い知らされる。

自分を護ることは間違いじゃない。

 

それゆえに他人を護ることができなくても

自らを責めることはないはず。

 

…とはなかなか割り切れない。

 

そのやるせなさを解決できないまま

他人に刃を向けてしまうこともある。

 

他人を攻撃するのは自分を護るため。

攻撃は最大の防御なり。

 

人は弱い生き物。

でも弱いのは自分だけじゃなくみんなおんなじ。

だから攻撃するのではなく寄り添えばいい。

 

そう思うことができればきっと平和なんだろうな。

理想論だけれど。

 

どうにも自分の気持ちをまとめることもできないけれど、

観てよかったと思う作品でした。

 

それにしても倍賞美津子さんは凄い役者さんだった。